昭和54年07月06日 朝の教話



 御理解 第20節
 「此方が天地金乃神よりおかげを受けておることを話にして聞かすのぞ。疑うて聞かぬ者は是非におよばず。かわいいものじゃ。また時を待っておかげを受けるがよし。めいめいに子を持って合点せよ。親の言うことを聞かぬ子が一番つまらぬ。言う事を聞かぬ子は、親も仕方があるまいが。」

 ここでもやはり教祖様がこういうふうに仰っておられるように、同じような事が言えると思うんです。私がいうなら此方が、教祖金光大神様のお取次を頂いて助かり、天地金乃神様から、教祖の神様の御教へを、いよいよ深く広く教えて下さる。しかも私の体験を混じえて言う、此の方大坪総一郎がおかげを、受けた事を皆に聞いてもらっているんです。もうだから、私が合楽の話は絶対だと言うふうに申すのですよ、ね。
 体験と言うなら、私が神様から頂いた事と、いわゆるそれが、教祖金光大神のお取次を、こう頂いてのお話ですから、もう言う事を聞かぬ子は、親でも仕方があるまいが、と又は言う事を聞いて、おかげを頂いていくと言う事が、素晴らしい事だと言う。そこにはなら親も喜び神様も喜んで下さる、それこそ金光大神も喜んで下さると言う事に なるのですから、どうでも本気で頂いて、それを実験して実証していく。
 私共が迂闊にしておりますと、それをね、本当にこんな素晴らしいおかげの受けられる事を聞き逃しておった。または実行していなかったと言う事が沢山あるのです。昨日は壮年会でしたから、もう本当に素晴らしい、初めから最後まででした。昨日研修の時でしたか、今私が阿部利見という先生の、御本を読ませて頂いております。もうそれこそそれこそ数限りなく沢山の人が助かった教会なんです。
 もうそれは驚くばかりなんです。その方があのうまぁ亡くなられて、何年か経って出来た御本だろうと思うが、先日誰かここに持ってきてくれてましたから、それを読ませて頂いてから、読み出したらもう本当に、もう私が言うておる事やら、頂いておる事と同じ事をやっぱり言っておられますです、ね。神様からいろいろお知らせ頂いて。この方が違うのは、ただ大学出のそれこそスポーツ万能と 自分でも言っておられるような、そういう所を通られての助かりを受けられて。
 そしてあのう尾道で道輝会ですかね、合楽と同じように暫くはその道輝会という、合楽が神愛会で十数年おかげを頂いて来たように、長くそういう関係にあられたわけです。だから、親教会というて無いですから、その親教会を玉水に御縁を頂かれて、玉水で修行をなさって、おかげを頂いておられる先生です。その今私が読ませて頂いとるところの中に。神徳会夜、夜話ですね、夜話とこう申しますとですね。話神徳家夜話という見出しで、ずっと尽きることのないおかげの話がずっとそのう出ております。
 そんな事からでしたか、昨日研修の時に正教先生に、今度からあのう合楽だよりがもう一番始めは、奇跡シリーズでしたよね。そして次に回顧シリーズでしたが、もう二年間続いたんです。だからもう来月あたりから、霊徳夜話と夜話と言った様なふうに、今度変えたらどうだろうか。もう霊徳的なあのうお話しなら、もう合楽には私が頂いただけではなくて、皆さんが頂いとるだけでも、大変な事ですから、しかもなかなか 本当に大変ユニークな、または面白いね。
 いろんなそのまぁ書いても、きりがないような話しが、沢山あるからというふうな話をしてましたが、昨日は丁度そのような感じの壮年会でした。もう始めから最後まで、もう一人一人のその発表が、もうそれこそ長々とですけれども、味のあるというかもう本当に、何とも云えんお話しばかりでした。今日のような例えばしんみりとしたお話を聞くこと、または話す事がやっぱし夜話と言う様なと、こう言う様な事やら、この場合をいうのだろうねというて、お話を聞いたりさせて頂いたりした事でした。
 中にね安東さんが発表しとられました。長々と話されましたが、もう一事一事が長年の難儀修行の中から、息子さんとの意見がいつも対立して、それでももう黙って治める事に徹底して、それが段々この頃おかげを頂くようになって、引くの字(-)がプラス(+)になって行く様なおかげの話しでしたが。先だってからその親先生の朝の、ご理解の中に、本当に私が身体がこんなに弱いですから、あのう時々には手を上げようごつもないように、きつい時もある。
 「あぁきっつぁ」と、本当に言う様に、あのうどうでもない時は何でもないごとあるけれども、そんな時があるんです。一日一回はそれがあるんです。「あぁきっつ」と、私が言うた時に神様がね、その「あぁきっつかぁ」と言うと死に神が集まるとお知らせ頂いた事を、その日の御理解に私は説いたんです。「あぁきっつかぁ」と言う、そこには死神が集まる。だか、お金が足りない時に、げな難儀なことはなか、こげな苦しかことはなかというと、必ず貧乏神が集まってくるよと言う話しを聞いた時にです。
 もう安東さんの場合は、それをもう実行されたんですね。金がないから苦しいとか、困ったといわんごとした。以来おかげを頂いてどうにもこうにも出来ない所をお話しになったけれども、それがおかげを頂いて、最近ではこうこうおかげを頂いておる。もう二千万からのいうなら借金でも、どうにももう皆さんにも御迷惑をかけてどうにもこうにも出来ないのがおかげを頂いて、それが段々おかげを頂いておる話し、また親子が具合よくいっておる話しをなさいました。もう本当に夜話的な話しでした。
 私はそれを聞かせて頂きよってです、私自身がはっと気付かせて頂いた事なんですけれども。最近私があの時以来、もうだからどんなきっかっても、きついとは言うまいと腹を決めた事は、あの時皆さんに聞いて頂いたんです。所がね事実それから私がきついと言う事がない事を、夕べお話を聞きながら気付いたんです。その前後の頃からある方が朝鮮人参をずうっとお茶にして頂くのを、お供えされるんです。
 それから善導寺のお豆腐屋さんがお参りはないけれども、それこそ合楽の親先生に差し上げたい、飲んで頂きたいというてあの豆乳をです、普通の倍位濃いいのを毎朝お供えになるんです。それもその前後の事でしたから、ははぁ豆乳がこげん効くとじゃろか、朝鮮人参がこげん効くとじゃろかとばかり言うたり、思うたりして来よったです。そして昨日、そのね安東さんの話しを聞きながら、私は横に繁雄さんが居られましたから、こりゃ朝鮮人参じゃあなかばい、豆乳じゃあなかばいと言いながら話した事でした。
 私がこの頃「きつか」ちゃ、いちょん言わんでしょがち。言わんと言う事を修行で言わんとじゃあない、本当にきつくないからです。その証拠に私が水を飲まなくなったという事実がある事なんです。それを改めて昨日私は気付かせて頂きましてね。ほほう成る程きついきついと言えば、死に神が集まってくるけんで、きついきついが日に一遍づつあっとたつがです。「きつい」を言わんようになったら、糖尿病のいうなら特長であります所の、限りなくもうコカコーラなど、最近飲んだ事がないです。
 もう冷蔵庫の横には、冷蔵庫に入らんで積み上げてあるです。お供えは皆コカコーラのお供えが来ると、あそこに持っていきよったけれども、この頃はもう孫たちが飲むぐらいの事。改めてその私は安東さんの、お話を聞きながらね、それを感じた時にです、こりゃあどうでも、おかげでね、おかげを頂いてです、きついとか難儀な事は、不平不足な事は言うちゃあならんと言う事、ね。安東さんがそれを実験して、実証されておる話しをなさいましたがです。
 もう本当にいつになったら、楽になるだろうかと、もうここに本当に金さえありさえすればとか、ね。例えばあってもなかっても、きつかってもです、御礼を申し上げる事がいっぱいあると言う事。はあぁ成る程安東さんが言われる様に、ね、お金がないから難儀な不平不足を言うたり、家庭が円満でなかったりするとです。いうなら貧乏神が集まると言う事が分かったと言うお話しでしたよ、ね。もうなぁにん言う事はなかばってんね、もう金さえ不自由せんなら、家は本当に極楽ばってん。
 そげなこつ言いよるけん、いつまでたってん極楽にならんと不平不足を言っている。もう今は立ち入っていると、これは私なら嫁御と姑の場合でもそうです。もう信心しよるけんで何とはなしに、こっとりと言わんごついきよるばってん、まちっと嫁御があぁあってくれるとよかばってんというその思いが、もうもちっとどうかあればよかばってんになるし、家のばばさんがち思いよるけん、どうも婆さんのする事がいちいち気になったり、勘にさわったりするんです。
 もう思う事成る程「心一つで総てを創る」と言われるが、そうだと思うです、ね。貧乏を嘆いてはいけません。死ぬほどきつかったちゃもうきつかちゅう、今日生きておる事が有り難いというてお礼を、きつかちゅう事は言う事は言うちゃあならん。それを私が実験実証させて頂いて、もう本当に呑気な事ですけれども、夕べ気が付いた。いいですか。「此方が、天地金乃神から教えを頂いた事をです伝えていくのじゃ。」私がいうなら金光大神の御取次ぎを頂いて。
 しかも私がそれを体験させて頂いて、聞いて頂いておるのですから、今日の話なんかもう今でも実行できる事です。もう悔やまんぞと言う事。どげんきつかったっちゃ、はぁ今日も結構なお使い回し頂きまして有り難うございました、と言った様な言い方をしなければいけないね。さぁならお金がないけんというて、やっぱその日その日のお繰り合せおかげを頂いてね、お繰り合わせを頂いて何とはなしに、それこそ昨日の安東さんの話じゃないけど、どうにもこうにも出けない所を、やはり道が開けて来ておると言う事。
 さぁどうにもならない時にです、いうなら不平不足を言うちゃならんと言う事、ね。それとあそある御信者さんがね、もうお金が足りなかった。隣のおばしゃんがそんなら家の金ば 使うときなさいというてから貸してもろうた。「はぁおかげ頂いた」と言ってお母さんが喜びよったら、お父さんが出て来てから「そりばってんお前やぁ返さにゃんとじゃろうもん」と言うた。もう「借りたっじゃから返さにゃん事は分っとるたい」ね、そういう時に「返さにゃんとじゃろうもん」と言う様なこつじゃ。
 いつまでたってもおかげにゃならんです。そこにはお繰り合わせが、例えば人の金でも、例えばそこに入って来たならばです、おかげを頂いて有り難いと言う事だけ。そういうそんな中にです、いわば返さならんとじゃろうもんと言った様な、念があったんではおかげにならんです。おかげを頂いてまぁ言うなら金を貸してくれるような人があってです、もう本当にお繰り合せ頂いた事だけに御礼言うたら。これをまた返さにゃん時がおおごつ、いつまでの約束じゃけんで、そげなこつは考えんでよか。
 もうそれば考えたらおかげにならん。そりば考えたら貧乏神だけしか集まってこん。これは私が、本当にはっきりと体験ですから、皆さん私がおかげを受けた事を聞いて頂いとるから、本気で実行して下さいよ。きついち言うちゃならん、不平不足を言うちゃならん、金が足るの足らんち言うちゃならん。ほんといつまでこげな貧乏が続くじゃろかち、そげなこつ言うけん貧乏神が離れきらんとです。まぁここが一番よかちゅうたふうで離れん、ね。本当ですばい。
 こりゃもうただよくこんな話はありますけれども、こりゃ私が体験して皆さんに聞いて頂きよると。ね、皆さん御承知のとうり、あれ程しにお水を頂きよったつが、あのうきついと言う事を言わん事に決めたらですね、きつくなくなったと言う事実がある事。だから家内や繁雄さんのごと、いつも私の側に居って頂く方は、私は昨日繁雄さんに言いました。「此の頃、私がいっちょんきつかち言うめいがの」ち「はぁほんなこつですね」と言う様なこつです。
 だから心の底にね、とても嫁御があぁあってくれるとかね、息子がこうあってくれその思いがいつまっでん息子がおかげ頂かんとです。それがあるのです。ちらっと。だからそこへんのすっきりさせて頂くことの為に、いうならば信心の稽古がいる。それが有り難いと口には言うとっても、心のどこかに不平不足があるようなことでは、いうならば教えを、いうならば実験するとか、又実証になってこない、ね。昨日矢野先生がお届けしますのに、ある方から電話が掛かって来た。
 私にも掛かって来たけれども、その詳しい事は聞いていなかったけれども。先日からある教会で長年信心された方が、どうも合楽でおかげを頂く。有り難い教えを頂くのでも、それこそもう本当に遠い所から、一生懸命で家族が参ってみえる。その周辺の人達までが、最近は連れて参ってくれというて、参って来られる家族がございます。先日から御本部参拝をなさいましてね、その引っ掛る事を金光様にお届けをした。したらね、金光様がね「○○教会も合楽教会もありません。
 教祖生神金光大神様の御信心です。」とおしゃったそうです。私がこれを読ませて今頂いとります湯川先生も、やぱりそういう所があった。兎に角あれ程しに御比礼がたったんですよね大阪で。たくさんの教会の、ですから他の教会の信者がどんどん参ってくるわけです。それでもう自分はもう、金光様の先生を止めようかとまで思われる位に、そのまぁあ言うなら批判非難が激しかったそうです。それでもうこげな人が助かる事もええばってん、こんなにあのう苦しいならば。
 もう金光様の先生は止むうと言う様な腹でね、御本部参拝をされて、奥城で一晩中御祈念なさったそうです。そしたらあのう湯川先生が頂いて居られる事は、「○○教会の信者じゃない。教祖金光大神の信者」とおしゃったそうです。それからもう本当にもう胸を張って、どこの教会の信者が参って来ても、問題は助からにゃならない。金光大神の信者を、私が取次がせて頂くんだという心に、なったと言う事が書いてございます。引っ掛ると言う事がおかげにならんです。
 昨日私は研修の時に先生達に「どげなふうかね、こうして夏期信行が始まって、金光様のいうならば有り難い手術が済まれてね、全快のおかげを頂かれて、そして又御用がお出来になられるようにというのが、今度の夏期信行の合楽の芯」と私はいうとります。これにかけると言っとります。だから「皆どげなふうね、あのうお願いが出来よるね」と私は申しました。お願はしよるばってん、まぁ私なりのお願いと、こういう。だから、私が申しました。「私なりのお願いじゃおかげにならんばい」と私が、ね。
 そして私がちょうどこれを読んどったたから、私がそれを言うたんです。銀座教会の湯川誠一という先生は、あちらの娘婿になられた方なのです。そして銀座に出られた。がまだ御修行中の時分に一晩中、ここでお通夜をなさって御祈念なさったそうです。そしたら、その湯川先生の事を誠一誠一と、こう呼ばれるらしいんですけれども、「誠一、お前はこ一晩中ここで御祈念しよったな、そんな事して何んになるかと。湯川安太郎になぜすがらんか」とおしゃったという話が出ております。
 ある時御本部参拝をさせて頂くとお届けさせて頂いた。何んの為に御本部参拝するかち。おかげ頂いて居りますから、御礼参拝させてもらう。どういうおかげを頂いたか。とたたみかけての師匠の質問に対して、御返事がなかった。「お前がおかげ頂いとるのは、湯川安太郎のおかげじゃ」とおしゃった。御本部参拝は、ただ自分の心の故郷として御礼参拝するだけ、ね。
 信心の世界には、いうなら教会は沢山あるけれども、守り守りの力と教祖はおしゃっとるだろうがと、ここでは湯川安太郎の信心が、今日のいうなら玉水教会の御比礼だと。○○教会を見てみれ。だから人が助からない。結局そこの先生の信心の程度にしか天地金乃神様は現われなさるのじゃと。そこの先生の信心の程度に応じて、天地金乃神様が現われなさるのじゃ。だから湯川誠一なぜ湯川誠一、湯川安太郎になぜ縋らんのじゃと言われたという話が出ておる。
 まぁ成程本当にそのものずばりにね、仰っておる事を聞かせて頂いて、私はその話を先生方にした事でした。皆さんもならみな沢山心で金光様の事をお願いなさっておるでしょう、それではいかん。なぜ大坪総一郎の信心に縋らんのか。本気で教主様が、いうならば元々のような御用がお出来になられるような、おかげを頂いてもらいたいと思うならば、お前達のいうなら信心で、お前達ではないですよこりゃ、あぁた方の信心でです。だから自分なりの言うならば、御祈念をしとるじゃつまらん。
 あんた方なりのだから。そこになら大坪総一郎になぜ縋らんのか、と言うて申しました事でした。こりゃもう御取次ぎを頂いて、御取次ぎの働きが現われるという金光大神の信心ですから、ここん所を皆さんが頂いての夏期信行なら夏期信行であり、教主金光様の御全快、御病気平癒の祈願でなければいけない、ね。力が違う。と言う様な事を、私はこの湯川先生のお話の中から感じさせて頂きました。
 皆さん私がおかげを受ておる事を、しかも実証をもってです、皆さんに聞いて頂いておるんです、ね。それこそ言う事を聞かん者は仕方があるまいがと、言うならば取次者を悲しましてはならんです。それこそ安藤さんじゃあないけれども、その事を頂いた時にです、今日からはもう、例えば金が足らんでん、どうであっても不平不足は言わんぞ、子供の事でもです、もう黙って治めると言う事でも、それをすっきり治められる信心になっていくぞと決められてから、この方のおかげの話しを聞かせて頂いて、ね。
 私もうっかりしておったなぁ、はぁやはりあの朝鮮人参、丁度同じ位からだったんです。私がきつかち言わんごつなったその前後から、豆乳とその朝鮮人参が、お供えがずっと来るんです。だから、やはり朝鮮人参が効くとじゃろと、豆乳が効きよるとじゃろと思いよったけれどもそうじゃない。私がきついと言わんごつなったから、死神が寄ってこんごつなったから、きつうなかごつなったしもうた。
 それが現実に現われておると言う事は、それこそもうあれだけの水を飲みよった私が、水を飲まんでもすむ程しに、おかげを受けておるという事実ですよ。だからそう言う事実を皆さんに聞いて頂いとるんですからね、皆さんも今日から、今からです実行が出来るでしょうがね。所がすっきりしないものがあるならば、そのすっきりしない所を、なら大坪総一郎に縋ったらいいじゃあないですか、ね。
 あんた逹がただ心の中で、ただ家の嫁御がこうですあぁですと誉めよるばってん、心の中ではもちっとたあぁあってくれればよかばってんと思うておる。そんなこつじゃ出けん。そんなこつじゃおかげ頂かん。家の婆々さんがまちっとどうかち、言う様なこつじゃ出けん。お礼を言うと思うたら、お礼を言う事がいっぱいなんだと、そしてそういう心が、心 の中に映ずる所に、自分はまぁだ土の信心が出来ていないなぁと、言う事を悟らしてもろうて、いよいよ土の信心に徹底していかにゃならんと言う事ですよね。
   どうぞ。